手記

ジャニオタのひとりごと

人生で泣くほど好きだった男に2年ぶり会いにいった話

 

4月24日渋谷すばるさんのファンクラブイベントに行ってきた。

コロナが流行り出す少し前、りちゃ末丈橋の青木さんを見てその足で幕張に走った当時21歳の私(若いね)

気づけばあの人が私が大好きだった男たちから離れて4年も経ったらしい(時の流れ早すぎィ)

でも4月15日の感覚はいつまで経っても忘れられないものだし、あの日から私を救ってくれた別のものたちにすごく感謝している。

 


すばるくんが最後に好きな男たちと歌ったのを見てひとりオフトンで号泣したのも、いないと言われたその年のツアーで根拠の無い希望を抱いて本当にいなくて号泣したのも、オタクの前から消息不明になって、ふらっと帰ってきたとき号泣したのも、今までそんな芸能人の事で号泣することなんかなかった私の涙腺をぶっ壊した男。

初めてすばるくんに心掴まれた日から10年ぐらい経ったらしい。時の流れこわい。

ライブハウス行ってもソフドリしか注文できなかったのに、普通にZepp横浜でビール片手にイベント参加してるの時の流れ感じずにはいられない。

すばるくん、私カシオレよりハイボールが好きだよ。

やっぱりどんなに離れててても結局好きなんだよなぁ。

 


トークのところ昔と変わらなくて好きだったすばるくんたった。懐かしくなった。

すばるくんから色んなこと教えてもらった。

私の人生はすばるくんが道標だったなぁ(重)

すばるくんはそんな重たいこと言われるの嫌だと思うけど、ふとしたタイミングでやっぱり好きだと思う。

人生はすばらしいって言ったすばるくんが羨ましくて、眩しい。

どんなに私があの日に戻って欲しいと願っても、それは私のエゴでしかなくて、それが叶わないなら元気でいてくれたらそれでいい、元気で笑って好きな場所で歌っててくれればそれでいい。

それも私のエゴだけど。

 


あの日から全てが変わってしまった、ふと思い出した時に聞こえない声を探して寂しくなってしまうし、7色の中にいたあなたを思ってしまう。

どうしようもないけど、

たまにはこんな日あってもいいかな〜

吉川太郎さんと私の出会い

 

お母さんごめんなさい。

 

お正月、帰省した時、「もう正門くんだけにお金使うようにしたら?」って言われたのにお金を使う相手が増えました。

紹介します。

 

吉川太郎さんです。

 

自分でもいつからこうなったのか分からなくてTwitterを遡りました。

🌞ねる🌝 on Twitter: "吉川太郎くんのお顔が好きです"

2019年8月28日らしいです。

なんでこう思ったのかめちゃくちゃ謎です。(調べると特に媒体とかは出てなさそう)

別のSNSを遡ったら2019年8月28日はAぇ! groupの凱旋(明石)に行って29日はなにわの少年たちに行くっていうオタクしてました。

そこに突如として現れる吉川太郎。

なんでだろう。謎は深まるばかりです。

 

そこから、月日は流れ2020年3月4日

吉川太郎さんの尊先が渋谷すばるさんだと知ったようです。

🌞ねる🌝 on Twitter: "この時のわたしへ 吉川太郎くんすばるくんが尊先だったよ。 わたしより… "

 

2020年6月1日

同担意識が芽生えました。

🌞ねる🌝 on Twitter: "吉川太郎くん入所時にすばるくん尊先にあげて、少クラでブルースハープでピアノマン吹くぐらいだから相当な同担だったな???"

きっと今もすばるくんがいたらすばるくんの話してくれてたりしたんだろうな……

 

2020年11月14日Aぇ! groupがオリ劇でやったDREAM PAVILIONで吉川太郎さんのネタをみた翌日の私。

🌞ねる🌝 on Twitter: "普通に昨日のネタ面白かった吉川太郎さん……"

🌞ねる🌝 on Twitter: "吉川太郎さん好きすぎる"

この時は確か英語のネタでした。

調べても太郎のレポないに等しくて詳しく説明出来ない……

でもゲラゲラ笑った記憶ある。

こっからもう吉川太郎さんにじわじわ来てます。当時は自覚なかったけど、今思うとこの日がそうだなぁと……。

そこから2021年の関ジュカレンダーに太郎がいないことにキレたりしていたのに担当は名乗らなかった私。頑なに落ちないぞ!という意思(もう落ちてた)

 

2021年あけおめの配信をみた私のツイート

🌞ねる🌝 on Twitter: "たろう……太郎にもっと会いたい"

🌞ねる🌝 on Twitter: "たろ!太郎はどこ!たろう!"

もう担当やん……

担当に対するセリフやん……

 

2021年2月4日

🌞ねる🌝 on Twitter: "Anotherタロが出るなら行きたいなぁ…"

こんなことを言っておきながらAnotherは始めたばかりの仕事を理由に申し込みすら忘れ配信だけ見ました。

 

2021年2月4日

🌞ねる🌝 on Twitter: "何回見ても太郎が一番かわいい"

私の悪い癖です。なんの媒体を見たのか分からない。直脳ツイートお前は何を見てそう思ったん……

 

🌞ねる🌝 on Twitter: "猫のこと太郎て呼ぼうかな…"

禁断症状、飼い猫を太郎って呼ぼうとし始める。

(因みに飼い猫は私が顔で選んだ美猫ちゃんだったのにでスノ担母がめめって付けた。今でも美猫です

 

2021年7月

🌞ねる🌝 on Twitter: "吉川太郎名義作りたい好き太郎……"

もう好きやん……

(未だに担当とは名乗りません)

 

そして実物の吉川太郎さんと再開したのは

2021年8月のサマスペです。

そこで吉川太郎さんを見た私は泣きます。

🌞ねる🌝 on Twitter: "今日、太郎ちゃんをちゃんとみるようになって初めての現場だった(はず)けど、端っこにいるたろちゃんにうちわもペンラの色もない中で、太郎ちゃんのこと応援してるよって伝える手段がないことに気づいてガチで涙流して泣いてた。"

後ろの端っこの照明当たるか当たらないかの位置で踊る太郎さんをみて、正門担で入ってるはずなのに違うことで泣き始めるキモイオタク(1人で入ってるのでただの不審者)

そこで、こんなに泣くぐらい吉川太郎さんに入れ込んでたんだなぁって自覚しました。

(自覚するの遅……)

 

上の方にぴょんぴょん笑顔で手をふる吉川太郎さんをみて 今日も元気だ……と涙を拭った夏でした。

 

最後にサマスペダイジェストが上がってないのでダイジェスト編集担当の人へ

🌞ねる🌝 on Twitter: "これからサマスペ入るひとへ キミとのキセキとStarTimeの吉川太郎くん見ていてください。歌声が少年みたいでとってもいいです。"

ここの吉川太郎さんのパートは絶対入れてください。私との約束です。

ラジオでメールがよく読まれる話

 

たまには有意義なはてブロ書こうと思い書き始めて多分1年ぐらい。

下書きにずーっとあったこのブログもついに日の目を見る日が来ました。

何様みたいな記事だったりするかもしれないので暇つぶし程度に…

 

 

 

Aぇ! groupのオタクを始めてから約3年。

 

 

ラジオでお便りを呼んでいただけるのが多い気がする(名前の読み上げ含む)

関バリ4回(全てAぇ! group回)

らじらー2回(全て晶哉ちゃん回)

ヤンタン1回(りちゃ末回)

 

仲良いFFに「本当によく読まれるね」と言われる始末(嬉しい)

Twitterログアウト期間に、メールが読まれてオタクに生存確認されたの今でも思い出です。

 

 

私がメールを送る時のテーマとして

人と被らなさそうな自分だけのエピソードを送る。

です。

 

例えば、

春休みにしたいことをテーマ募集していた関バリに私が送ったメール。(スクショは取ってないのでざっくりです)

 

正門くん、誠也くん、小島くんこんばり!

私は、春休み、誠也くんの金髪に憧れて金髪にしました!

ですが、バイトは金髪禁止なのでウィッグを被ってバイトに行くことにしました。

みなさんは、したい髪型髪色などはありますか?

 

と送ったと思います(多分)

 

(まじで春松竹に合わせて金髪にしてた)

コロちゃんでなくなったし、もうこのメール送った時には誠也さん茶髪だったけどね悲しいな(ゎら)

 

長々書いてもあれなので私は、大体ギュッと短くしています。

例に出したメールだと、

わざわざバイトにウィッグをかぶってでも誠也くんに憧れて金髪にした。

ということが、面白がられたのかなと思います。

 

 

文章構成としては、

 

挨拶

↓↓↓

結論

↓↓↓

それをした結果orそれをするに至った経緯

↓↓↓

ラジオで話が広げられるように質問

 

これを3行か4行ぐらいで書くことを心がけます。

 

送る時間はまちまちです。

夜中寝れない時に送ることもあれば、暇だなと真昼間に送ることもあればです、思いついた時に送ります。

金髪のメール関しては金曜日の夜バイトの行きがけに歩きながら打った記憶があります。(歩きスマホ ダメ ゼッタイ)

 

放送直前に送るのは台本の完成などもあると思うのであまり採用率は低めだと思います。

この前の昼に送ったやつがよまれたの私の中ではイレギュラーだった。

(業界関係者じゃないので知らんけど)

 

 

らじらーは特殊すぎるので、もう数を打つしかないと思ってます。

らじらーでメール読まれたら奇跡。

曲リクエストで名前を読んでもらった時は、晶哉ちゃんが出るって発表されてすぐ送った記憶があります。

急ブレーキが採用された時は、多分、夕方ぐらいにバイトの化粧しながら送った気がします。

あの時はかなり数送った記憶があります。

 

あとは、各ラジオ過去の放送を分析して、こういうメール読まれる率高いな〜みたいな感じのメールを送ることぐらいです。

関バリだとAぇ! groupに絡んだことだと選んでくれる率アップ?(知らん)

 

らじらーはまじ癖が強すぎてわからん。

毎回メールテーマのバナー見てノブの人格が出てくる。(「クセが強い」)

 

ヤンタンもわかんないな〜。

ヤンタンは関バリの時よりオタク抑えめでおくる感じは心がけてますかね?

ヤンタンもかず打つしかないかな〜と思って数送ってます。

この前読まれたのはその回の感想メールでした

 

 

数送るって言っても内容はきちんと考えてください。(らじらーのボケワードとかは別、あれは脳死で送るしかない)

話広がるメールじゃないと読む意味ないとおもうので(知らんけど)

 

画面の向こうにはそれを読む相手、(精査するプロ)がいることを忘れちゃダメです。

 

もし、自分がスタッフだったとして、このメールおもろい紹介しよ!!と思えるメールを送ってください(何様)

 

では、私のメールで佐野担の屍が増えた(らしい)回をどうぞ

 

 

 

あなたを育てたこの街が

 

あなたを育てたこの街が私は好きです。

 

 


わたしは関西出身じゃありません。

でも小さい時から関西のテレビは再放送や週おくれで映っていたし、東京よりも近い大都市だから馴染みがありました。

 


先日、数年ぶりに誰とも会わない大阪を過ごしました。

ひとりでぼーっと電車にのったり、街を歩いたり、そうしていてふと思うのは、私はあなたが育ったこの街が好きなんだろうなということです。

理由は分からないけれど、ふとした瞬間に好きだと思うのです。

この街で生活したことは無いけれど、どこか懐かしさや落ち着く気持ちが湧いてくるのです。

空気や街並み、この街のどこかにあなたの空気を感じています。

ここには楽しい思い出がたくさんあるから、この街で嫌な思い出が思いつかないくらいに、いっそ住み着いてしまおうかと思うほどに。

 

CM見てクソデカ感情湧く8時半

 

 

わたしは2018年の4月15日を忘れることができない。

 

送られてきたいつもとは違う雰囲気のメールも、

 

あの時感じた寒気や震えも、

 

テレビの奥で覚悟を決めた憧れの人とその仲間たちをみた時も、

 

多分この先幾度となく思い出すし、

 

思い出して寂しくなってまたこんなブログを描くとおもう。

 

大好きだった人たち。

 

あの人はグループの心臓だ。って表現していた人がいたけれど、本当にそうだったなと思う。

 

そんな人が旅立つ決意をした一方、仲間たちは続けることを選んでくれた。

 

私は寂しさやここにあの人がいたら…なんて思ってしまったり、過去とのギャップに耐えられなくて、なんであの時終わりにしてくれなかったんだろうなんて思っていた。

 

あの人がいなくなって約3年経った。

 

今は、終わりにしないでくれてありがとうと思う。

 

仲間たちは戦い方を変えたけど、戦うことを諦めていなかったんだとおもった。

 

カッコいい。

 

後輩に入れ込むようになって、あの人たちのかっこよさが更にわかるようになった。

 

2021年新しいアルバムのCM。

 

あの人たちは光だとおもった。

 

何もない地に放り出されたときに照らしてくれる光。

 

「照らしといたるからあとは自分らで頑張り!俺らも進むけどな!」と言わんばかりの姿。

 

照らすだけじゃなくて自分たちも進みつづけるのが関ジャニ∞なんだって思った。

 

後輩にカッコいい背中を見せてくれてありがとう。

 

こんなに好きでよかったなんて思える人たちそうそう出会えないと思う。

 

関ジャニ∞を好きでよかった。

 

 

染、色の感想を配信前に

 

自担の初めての主演舞台。

譲ってもらうよていだったチケは仕事休めんくて1回行けんくなったけど、出勤退勤の時にほぼ毎日グローブ座の前通って、染、色のポスター見て、正門くん頑張れ〜って心の中でお祈りした1ヶ月。

東京千秋楽にはメンバーみんなとシゲアキさんが来てくれて舞台からメンバーとシゲアキさん正門くんが本当に嬉しそうで、私まで嬉しかったなぁ……

 

めでたく配信も決まったので、配信前に染色の感想をバーッとかく。

何度か見てその都度書き足して行ったので時系列とかもろもろバラバラだけど、ブログタイトル通り、手記なので良。

 

 

では、はじめまーす。

 

 

深馬くんが持つ感情はきっと誰しもが持つもので、才能が開くか開かないかもふとしたきっかけがあるかないか。

きっかけの引き金引き金を引くか引かないかの違い。

深馬くんにとってのきっかけの引き金がマミっていう幻想だったのかな?

 

開幕以前からミウマとマミって名前似てるなぁとぼんやり思ってたのですが、舞台見て、マミが私は深馬のとこ知ってる感やら、最後の回想のとこやらでマミは実在しない人物で、深馬くんの深層心理なのかなと思った。

マミの才能やしていること(頼まれたら看板に絵を描く、自分の好きな絵を描く)は深馬くんが望んだものなのか、まだ、開花していなかった才能なのか、


『秋に咲いた桜は春にも咲くのか』深馬くんはこれの答えを探してた。

深馬くんとマミの出会い(深馬くんの才能の開花)が秋なんだとしたら、同級生が就職した春に深馬くんは留年していたので、秋に咲いた桜は春には咲けなかったということだなと思った。


才能があると言われ多方面から期待を寄せられてた深馬くんがマミを失ったタイミングで絵への情熱を完全に失って、

自分が思ってる才能と周囲が思う才能にギャップがあってそれにも深馬くんは苦しんでいたのかなと思う。


多分、この舞台染、色はシゲアキさんの負の感情が詰めに詰め込まれた舞台だなぁと思った。

いつかのどこかの媒体でシゲアキさんが「僕が早く小説を書き上げていたら、僕らはあのままだったんじゃないか」みたいなことを言ってるのを見た気がして、それ読んだ時、多分シゲアキさんはずっとどこかに劣等感を抱えてアイドルやってきたんだろうなって思った。

(当方、シゲアキさんのオタクでは無かったのでそんなこと言ってなかったら教えてください)

染色の中にある全てが、シゲアキさんが浴びてきた言葉で、感じてきたことなのかなって思って見てた。


まさかどくん、一度にキリッとなる顔ととろんとする顔うますぎる切り替えが爆速すぎる。

錦戸亮ちゃんも眉毛使って演技するの得意だったから正門くんも素敵な俳優さんになるね。


マミが舞台上にいないとき眉毛がキリッとしてることがあって、その時はマミの人格宿した深馬くんで、キリッとしてない時は深馬くんそのものなのかなとおもったりした。


器物破損云々のニュースが流れてる場面でビル群みたいな絵を深馬とマミが描くシーン、深馬が形を作って、マミが色を付ける。ヤギと蛇の所もそうだったかな。

深馬くんにとってマミは枯れかけた才能にもう一度色を付ける存在だったのかなとおもった。

マミがいなくなってから(マミを手放した後)はヤギと蛇の絵の色ががなくなってた。


高校生から上京し美大の予備校に通い主席で入学した深馬くんの人生を「普通」っていったマミにホッとしたように笑うんだよねぇ、周りから「君は特別だ」と言われ続けたプレッシャーみたいなものが解けた瞬間があの場面だったのかなぁ……


私は、マミには心から笑っているように見えて、杏奈には偽りの笑顔(作り笑い)むけてるように見えたなぁ、最初(北見と原田とのシーン)以外マミといる時以外笑わないんだよ深馬くん。


ベージュシャツの間は深馬くんが出てきたところからマミが出てきてはけていく気がしたんだけど、マミを抱いたところ以降、黒シャツになった所から2人は反対側から出てきて同じ方にははけないようになった気がした。2人の心の距離というか、思想の距離をそこで表してるのかな〜って思った。


マミに「ずっと一緒にいられたらいいのに」と言われて抱きしめられてる深馬くん夢の中に落ちそうな表情するんだよねぇ。そこから我に帰ってマミを突き放すんだけど、そこが深馬くんが深馬くん自身の才能を手放したきっかけなのかもと思った。

深馬くんにとっての「君はなんにでもなれるよ」はプレッシャーを与える言葉だったかもしれないけど、正門くんにとっての「君はなんにでもなれるよ」は希望の言葉であって欲しい。

 

深馬くんが言う「運が良かっただけなんだ。」

すごかった、と言われた1.2年は深馬くんが深馬くんの才能を信じていた時期だったんだろうな。 3年になってからかけなくなったのは自分の才能が信じられなくなったからかな。

(個人的には、NEWSに選ばれた時のシゲアキさんともリンクしました。)

 

私は美術に詳しい人間では無いので、劇中で書かれた絵を色々考察してる人いて面白いなと思った。

 

特に記憶に残ってるのはヤギに蛇が巻きついてる絵

ヤギと蛇の絵+深馬くんでキメラが成り立つと言う考察が個人的にしっくり来た。 深馬の読みを変えてシンバと読む(シンバはアフリカの言葉でライオン)

キメラの象徴が「理解できない夢」ということらしいのだけど、マミと出会い過ごした全てが夢なんだとしたら、夢の始まりはヤギと蛇の絵を描いて寝てしまった(熱中症で倒れた?)ところからかな?と思う。

その夢から覚めるのは、病院のところかと思ったけど、そこではまだ滝川先生が悪者のままだから、夢じゃなくなるのは深馬くんが杏奈の家に住み着いたって話すところからか、居酒屋かな

 

個人的にずっと分からないなと思うのは

杏奈の面接のシーン尊敬する人を聞かれて深馬くんのことを話すところ「彼?彼とはそう言う関係じゃないです」がいまだにわかんない。

安直な考えだと面接官は「君は彼が好きなの?」とか、「付き合ってるの?」「彼氏なの?」とかそう言うこと聞いたんだとおもうんだけど、そこで、「そういう関係じゃないです」って言うのがあんまりわかんないと言うか…

なんで「そういう関係じゃないんだろう」

「彼氏なの?」以外に「そう言う関係」が表せられるものってなんだろう?

何かあったら教えてください。

 

劇中にお酒が良く出てきたなぁと思う。

大学生ぽさの演出か、酒に酔うだけじゃない多面的な意味の演出かは私には考えられなかったけど、

 

(2021/07/09 09:30)

ファンネームについて

 

Aぇ! groupが結成された当初凱旋の時期ぐらいにファンネームがどうこうみたいな話になった結果今に至るまでついてないのだけど、今はついてなくて良かったな〜と思う。

 

私はアイドルが自発的(多分)ファンネームをつけたグループを推してたこともあったからファンネーム自体に否定的な訳では無い。

 

ただ、ファンネームがある事で、やんわり推すグループは自分は当事者ではなく、第三者、蚊帳の外のような疎外感を感じることがある。

 

【アイドル】と【熱狂的なファン】【そのグループが1番に好きなファン】が当事者と第二者だとすると、
そのグループが【熱気的に好きではないファン】グループはそうでも無いが【このグループのこの子だけが好きというファン】は

三者として一線を引かれてる様な気持ちになる気がする。


具体例を上げると、
私はAぇ! groupの他に丈一郎さんが好きなんだけれども、なにわ男子のファンには『なにふぁむ』っていうファンネームが付いていて、配信などでもその名前で呼びかけてくる。
でも、『なにふぁむ』というのは、『なにわ男子』のファンだから『なにふぁむ』なのであって、丈一郎のオタクの私は『なにふぁむ』では無いと思う。
そんな感じ。(つたわる?)


だから、配信で例え丈一郎さんが『なにふぁむ』って呼びかけられても『あ、私なにふぁむでは無いので✋』って勝手に疎外感を感じている。(クソめんどくさいひねくれ女)


今、デビュー組、Jr問わず色んなグループがファンに名前をつけ呼んでいる。その度に、一線を引かれた。そんな気分になる。
私は例えファンクラブに入っていても、ティアラでも、セクラバでもないような気持ちでいる。

 

だから、私の最推し達にはファンネを付けることはこれからも出来れば、しないで欲しいなぁって思ったりする。

ファンネ以外にだってアイドルからの愛の伝え方があるってAぇ! groupが教えてくれたので、

Aぇ! groupはその愛の伝え方で頑張ってほしい。

 

 

 

 

 


あとなにわがファンネを付ける時、ファン投票をしたんだけれども、あの名前、オタクが選んだ1番ではなかった気がする。

なんか、オタク投票では西畑さんが適当に付けた名前が1位になったらしく(なんて名前だったかは忘れた)

三者ながらに「いや適当につけんな」と思った記憶がある。
アイドルが愛着持ってつけてくれた方が該当オタクだって嬉しいだろうよ。適当につけたとしても公表すなよ……と思った。
私はあの中だとキャンディ推しだった(イラ情)